different philosophies

最近また読書熱が高まりだし、いろいろと本を読んでいる。
といっても最近は小説ではなくて、いろんな人がどう生きたかとか、どう考えたか、なんてことを書いた本が多い。でも成功哲学とかなんとかの習慣とかそんなんじゃないです笑
そして最近気付いたのは何冊かの本を同時進行で読む癖があるということ。

最近面白かったのはパブロカザルスに習ったビビアン・マッキーさんというチェリストの対話集。
カザルスの教えとアレクサンダーテクニークを繋げていろいろを話しているのがとても興味深かったし、自分と楽器、自分と音楽との距離感を今一度見つめ返すよいきっかけになった。

それからいま読んでいるのはMartin Bradfieldという人の書いた”Drumming: The Forest and the Trees”という本。教則本ではなくてドラムというか音楽に対しての、この人の考え方が西洋哲学的な目線から書かれている。本の中にも書かれているけど、欧米でも先生たちは禅とかインドとかの東洋的な思想を持ち出して話してくれることが多く、(日本人である自分自身はそれで理解できるんだけど、)果たしてそれってどんなんだろう?という疑問が著者にはあったらしい。
アメリカで生まれたジャズをアメリカ人が理解するのに、なぜわざわざ違う価値基準の中で産まれた東洋の思想、哲学を用いて理解しようとするのか?っていう疑問。もっともな意見だと思った。

自分のものを自分で考える時になぜ自分の物差しを使わないんだ?という。

例えば昔、アフリカのある地域の音楽を西洋の学者が研究しようとした時に、西洋の音楽や生き方の価値観で分析、研究してしまっては、その音楽の本来の意味を理解できない、ということがあったのと同じなのかな。同じと言うかその逆というか。

そして当たり前だけど、これは違う文化圏で産まれたもの同士が接触するときにだけ起こることじゃなくって、同じ国の中でも、同じ職場の中でも、同じ家の中でも起こりうる、というか日常的に起きていることなんだなと。
他者を評価するのに、自分の価値基準でのみ評価するのか、その人の価値基準を理解したうえで評価するのか。けっこう大きな違いになってくる。それに、気持ちも楽になる。

と、言うのは簡単なんだけどね。

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