明日から後半戦

この間の火曜日から続いている小田村愁くんのトリオ、明日からツアー後半戦です。各地で演奏して、移動も共にして、演奏の内容もよりよくなってきて明日からがまた楽しみです。
彼の作曲、そして演奏も素晴らしいです。
京都、大阪のみなさまぜひライブ会場でお会いしましょう!
(予定はこちら)

それにしても音楽の評価は本当に人それぞれだなぁと感じる今日この頃。
なんだかんだそれらしいことを言葉にして批評しても、結局は主観的なもの。(そういったものを否定している訳ではないのです。) 
同じ演奏を同じ場所で同じ時に聴いても、良いという人もいれば悪いという人もいる。同じ人が同じ演奏を違う日に聴いたら、その日の気分やその日あったできごとで良いと思う日とそうでもないと思う日もある。

それで良いと思う。

そもそも聴く人が、評価は主観的なものだということを理解していないと、知名度とか、メディアへの露出度とかそういうことで判断してしまうのだけど。(日本に限らず、ものごとの評価を他人の感覚に任せる体質は改善しないといけない。)

絶対的な物差しがないから難しくて、そこが面白くもある、という。
音楽、芸術に限らず世の中そんなもんなのかな。
でも普遍的な何かはあると、個人的には信じています。

それに近づくために演奏する側として気をつけていることは、演奏している時に共演者をジャッジしないこと。それがどんなに音楽家としての大先輩でも、まだ楽器を始めたばかりの人でも変わらず対等に。
それから人の演奏をコントロールしようとしないこと。

普段だとなかなか時間がないのでツアー中にいろいろとメンバーと話し合えるのはとても有意義です。

ということで後半戦もよろしくおねがいします!!

西へ

NYから一時帰国中の小田村愁くんのレコ発ツアーに参加します。
レコーディングにはNY在住のドラマーのYutaka Uchidaさんが参加しています。

山口や広島に行くのはすごく久しぶりで楽しみです!

小田村愁(gt), 山田吉輝(b), 則武諒(ds)

5/17 @ Valentine Drive (名古屋)
open6:30PM start7:30PM ¥3,000
愛知県名古屋市千種区今池1-9-3 西今池ビル地下1階

5/18 @ 萬屋宗兵衛 (神戸)
start7:30PM ¥3,500/¥4,000
兵庫県神戸市中央区元町通1-8-4 メゾンドセラビB1

5/19 @ Porsche (山口)
start7:30PM ¥3,500
山口県山口市葵1-1-28

5/21 @ Bird (広島)
start8PM ¥3,000
広島県広島市中区薬研堀10−11ハウスアピアB1

5/23 @ NAM HALL (京都)
open6:30PM start7:30PM ¥3,500/¥4,000
京都市左京区岡崎天王町54-2 NYビル地下一階

5/24 @ グラバー邸 (大阪)
start8PM ¥3,000
大阪市中央区谷町5-7-3 谷町ビルディング9F

5/25 @ Live Studio 58 (京都)
open7PM start7:30PM ¥3,000
京都府京都市山科区西野山階町11-13

5/28 @ Boozy Muse (大久保)
start7:40PM ¥2,800
東京都新宿区北新宿1-8-20 KOKORO B1F

久しぶりに

来月の中旬に1週間ほどNYに行きます。
4年ぶりくらいでしょうか。楽しみです!
モチアンはもういないけど、いろいろ聴けたらいいな。
美術館もいろいろゆっくり回りたいです。

というのをMeshuggahを聞きながら書いています。

different philosophies

最近また読書熱が高まりだし、いろいろと本を読んでいる。
といっても最近は小説ではなくて、いろんな人がどう生きたかとか、どう考えたか、なんてことを書いた本が多い。でも成功哲学とかなんとかの習慣とかそんなんじゃないです笑
そして最近気付いたのは何冊かの本を同時進行で読む癖があるということ。

最近面白かったのはパブロカザルスに習ったビビアン・マッキーさんというチェリストの対話集。
カザルスの教えとアレクサンダーテクニークを繋げていろいろを話しているのがとても興味深かったし、自分と楽器、自分と音楽との距離感を今一度見つめ返すよいきっかけになった。

それからいま読んでいるのはMartin Bradfieldという人の書いた”Drumming: The Forest and the Trees”という本。教則本ではなくてドラムというか音楽に対しての、この人の考え方が西洋哲学的な目線から書かれている。本の中にも書かれているけど、欧米でも先生たちは禅とかインドとかの東洋的な思想を持ち出して話してくれることが多く、(日本人である自分自身はそれで理解できるんだけど、)果たしてそれってどんなんだろう?という疑問が著者にはあったらしい。
アメリカで生まれたジャズをアメリカ人が理解するのに、なぜわざわざ違う価値基準の中で産まれた東洋の思想、哲学を用いて理解しようとするのか?っていう疑問。もっともな意見だと思った。

自分のものを自分で考える時になぜ自分の物差しを使わないんだ?という。

例えば昔、アフリカのある地域の音楽を西洋の学者が研究しようとした時に、西洋の音楽や生き方の価値観で分析、研究してしまっては、その音楽の本来の意味を理解できない、ということがあったのと同じなのかな。同じと言うかその逆というか。

そして当たり前だけど、これは違う文化圏で産まれたもの同士が接触するときにだけ起こることじゃなくって、同じ国の中でも、同じ職場の中でも、同じ家の中でも起こりうる、というか日常的に起きていることなんだなと。
他者を評価するのに、自分の価値基準でのみ評価するのか、その人の価値基準を理解したうえで評価するのか。けっこう大きな違いになってくる。それに、気持ちも楽になる。

と、言うのは簡単なんだけどね。