drum wisdom

今までに何回か読んでるんだけど、最近また改めてBob MosesのDrum Wisdomという本を読んでいた。
半分教則本のような感じなんだけど、エクササイズは書いてなくてコンセプトとか彼の考え方が書いてある本。

日々に追われてしまうと演奏は粗くなるし、中身にもその場しのぎの嘘がでてしまうときがある気がする。
時間に余裕のあった10月を有意義に過ごすためにも、残り二ヶ月を忙しく駆け抜けるためにも良いタイミングでの再訪でした。

この本にも書いてあるけど、人は制限があるからこそ自由を感じられるし、創造的にもなれる生き物のようだ。とっちらかっちゃうとただのぐちゃぐちゃ。勢いでバーンってやっておしまい。

Roy Haynesの音の配置がおしゃれ。

明日から後半戦

この間の火曜日から続いている小田村愁くんのトリオ、明日からツアー後半戦です。各地で演奏して、移動も共にして、演奏の内容もよりよくなってきて明日からがまた楽しみです。
彼の作曲、そして演奏も素晴らしいです。
京都、大阪のみなさまぜひライブ会場でお会いしましょう!
(予定はこちら)

それにしても音楽の評価は本当に人それぞれだなぁと感じる今日この頃。
なんだかんだそれらしいことを言葉にして批評しても、結局は主観的なもの。(そういったものを否定している訳ではないのです。) 
同じ演奏を同じ場所で同じ時に聴いても、良いという人もいれば悪いという人もいる。同じ人が同じ演奏を違う日に聴いたら、その日の気分やその日あったできごとで良いと思う日とそうでもないと思う日もある。

それで良いと思う。

そもそも聴く人が、評価は主観的なものだということを理解していないと、知名度とか、メディアへの露出度とかそういうことで判断してしまうのだけど。(日本に限らず、ものごとの評価を他人の感覚に任せる体質は改善しないといけない。)

絶対的な物差しがないから難しくて、そこが面白くもある、という。
音楽、芸術に限らず世の中そんなもんなのかな。
でも普遍的な何かはあると、個人的には信じています。

それに近づくために演奏する側として気をつけていることは、演奏している時に共演者をジャッジしないこと。それがどんなに音楽家としての大先輩でも、まだ楽器を始めたばかりの人でも変わらず対等に。
それから人の演奏をコントロールしようとしないこと。

普段だとなかなか時間がないのでツアー中にいろいろとメンバーと話し合えるのはとても有意義です。

ということで後半戦もよろしくおねがいします!!

different philosophies

最近また読書熱が高まりだし、いろいろと本を読んでいる。
といっても最近は小説ではなくて、いろんな人がどう生きたかとか、どう考えたか、なんてことを書いた本が多い。でも成功哲学とかなんとかの習慣とかそんなんじゃないです笑
そして最近気付いたのは何冊かの本を同時進行で読む癖があるということ。

最近面白かったのはパブロカザルスに習ったビビアン・マッキーさんというチェリストの対話集。
カザルスの教えとアレクサンダーテクニークを繋げていろいろを話しているのがとても興味深かったし、自分と楽器、自分と音楽との距離感を今一度見つめ返すよいきっかけになった。

それからいま読んでいるのはMartin Bradfieldという人の書いた”Drumming: The Forest and the Trees”という本。教則本ではなくてドラムというか音楽に対しての、この人の考え方が西洋哲学的な目線から書かれている。本の中にも書かれているけど、欧米でも先生たちは禅とかインドとかの東洋的な思想を持ち出して話してくれることが多く、(日本人である自分自身はそれで理解できるんだけど、)果たしてそれってどんなんだろう?という疑問が著者にはあったらしい。
アメリカで生まれたジャズをアメリカ人が理解するのに、なぜわざわざ違う価値基準の中で産まれた東洋の思想、哲学を用いて理解しようとするのか?っていう疑問。もっともな意見だと思った。

自分のものを自分で考える時になぜ自分の物差しを使わないんだ?という。

例えば昔、アフリカのある地域の音楽を西洋の学者が研究しようとした時に、西洋の音楽や生き方の価値観で分析、研究してしまっては、その音楽の本来の意味を理解できない、ということがあったのと同じなのかな。同じと言うかその逆というか。

そして当たり前だけど、これは違う文化圏で産まれたもの同士が接触するときにだけ起こることじゃなくって、同じ国の中でも、同じ職場の中でも、同じ家の中でも起こりうる、というか日常的に起きていることなんだなと。
他者を評価するのに、自分の価値基準でのみ評価するのか、その人の価値基準を理解したうえで評価するのか。けっこう大きな違いになってくる。それに、気持ちも楽になる。

と、言うのは簡単なんだけどね。

ステレオタイプ

人は、他人や、日常で起きていることの本当の姿をどれだけ見ることができているのだろうかと考えた。いま見ている他人や出来事は本当に無色透明なレンズを通して見ているのかという感じ。

どうしても先入観や今までに出会った人、出来事なんかの傾向から、今、目の前にいるよく知らない人や出来事をまずタイプに分けてそしてなんとなく分類してしまっているような(されてしまっているような)気がする時がある。

たとえば目の前にすっごく若くて見た目も言動もすごく軽い人がいたらその人がいかに深い考えを持ってたくさん辛い経験をしてきてさらに広い見聞を持っていたとしても、おそらくこの人は軽い人なんだという前提で接してしまう。

逆にそれなりに歳を重ねていて見た目がすごく信頼できそうな一流企業に勤めている人がいたら中身がどれだけ悪人でも、信頼できそうな人という前提で接してしまう。

まぁ、それはきっと誰でも多かれ少なかれそうなんだけども、なんかそういう既成概念とか思い込みなしにだれともまずはフラットに接して、コミュニケーションを通してのみその人を理解していく(思い込みで理解しているような気になることなしに)ということがいつも誰とでもできたらいいな。

野生の動物は思い込みで物事や人を判断しないんだろうなぁとなんとなくそう思います。

見ているもの、聴いているもの、感じていること、考えていること
そういうものが音になってあらわれる。

だから普段の生活が大事。まじめなこともくだらないことも。

いざ演奏するときにどれだけ取り繕っても誤魔化しようがない。