同じ時を生きる

思ったことをいくつか。

ライオンとキリンがおなじアフリカの大地に生きているみたいな感覚でアンサンブルできたら楽しそうだし、もっと離れて、大きな木と小さなプランクトンが同じ地球に存在し、生きているくらいの感じでアンサンブルできたらいいなぁ。ライブ会場に集まって一緒に演奏するだけがアンサンブルじゃない。
そう考えると常にだれかと、なにかとアンサンブルしてるんだなぁ。人は一人では生きられない。
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最近は、人から言われる事や出来事の中でも、自分の心に違和感を残すような事柄を特に丁寧に考えるようにしている。その中になにかがありそう。書き起こすとなおさら考えが深まる。

考えてる事や感じてる事が同じでも、表現する言葉が違ったり表情や伝えるタイミングが違うとそれに気づかない事が多いような気がする。表面的に違っても本質が同じだということはありうる。
でもその逆も然り。

いまさらリーコニッツ

リーコニッツのインタビュー集、Conversations on the Improviser’s Artいまさらながら読んでます。
いまさらというか英語版が出版されたのが2007年で、日本語版が出たのが2015年のようなのでその時点ですでにだいぶ時間が経ってたようですね。翻訳作るのってやっぱり大変なんだなぁ。メルルイスの本も日本語版出たらいいのに。

読んでみてまだ数ページ、、ちょうどこういうインプットが必要だった。
助けられた!

下のリンクはリーコニッツが最初の部分で言及している記事。

Murdering silence with bad music

良い音楽、悪い音楽というのはその人次第だけど、間違いなく使い捨ての音楽や使い捨てにされる音楽家が増えているし、これだけ街中に音楽が溢れてると特別感はなくなりますよね。まぁ間口が広くなるのはいいことだけど、そういうことでもないしなぁ。
完全に両極端に別れつつある感じも受けます。

ジャズクラブも、これから生の演奏があるのに、それよりも大音量なんじゃないかってくらいでレコードやCDかけて、いい音なのはいいんだけど、、
その日の出演者と違う感じのを気を使ってかけてくれるところはまだいいけど、かぶせてくるところもありますからね。しかも休憩中に。セットの間の休憩が30分あるなら演奏後5分と次の演奏の前の5分とかでいいからBGM消してみてほしい。それかせめて音量をもっと絞ってほしい。休憩中も爆音で音楽流れてきてお客さんの耳はだいぶしんどいと思うし、演奏する側としても流れてる音楽によってはすごく気が散って自分の演奏どころじゃなくなっちゃうときがある。

さらに最近は駅の広告とか電車の広告とか、大きな街に出たら、外を歩いてても映像が溢れてて本当にしんどく感じます。こんな環境だったら出てくる文化もそれに影響されたものになりますよね。

街に出るときは耳栓してアイマスクして歩くしかないかな笑
でもイヤホンしてスマホ見てたらある意味そんな状態か。。なんだかね。

自然

5月の清々しい感じ、毎年とても好きです。

冬の、葉っぱひとつついてない時の木々の映像がまだまだ新鮮に記憶に残ってて、それと比べて、なんと緑が綺麗なんだろう!って素直に感謝できる感じ。これで「暖かい」が「暑い」になってくるとだんだん感謝どころではなくなるという、人間のなんと勝手なことか。。
でもそれも生きているということなのかな。

日本に四季があるうちにしっかりと堪能しておかなくては。

3月

2月はやはりあっという間に過ぎていきますね。
秋田でいただいたきりたんぽ、おいしかったなぁ。。

今月は比較的スローな、どちらかというとインプットすることの方が多い一ヶ月でしたが、来月は打って変わってアウトプットの多い月になりそうです。

前半はこちら!

数年前から参加させていただいている、Joe Rosenbergさんというサックスの方の来日ツアーです。
毎年このツアーではたくさんのことを学び、吸収しています。また今年も音楽的発見の多いツアーになるといいなぁ。
彼の作品はApple MusicやSpotifyでも聴けます。ご興味のある方はぜひ聴いてみてください。そしてぜひライブ会場へもお越しください!!